四の章  北颪
きたおろし (お侍 extra)
 



     幕間  冬ざるる




 何にか餓
(かつ)えてのその反動から、その懐ろへとすがりついていた。
 こんな自分ではなかったのにな。そうまで心許なかったということか。
 物心ついてからこっち、一度だって迷ったことなどなかったのに。
 刀においても、行く末においても。

  “…行く末?”

 答えは出ず、その代わりのように脳裏へと浮かんだのが、
 覚束ぬこの身を熱で埋め、夜陰の底へと沈めてくれた男の影。
 何処へもやらぬと囁いて、独りにはせぬと安堵させ、
 何へと怯えているのか訊きもせで。
 憂いる暇さえ与えずの蕩かして、
 暖かい懐ろへ、眠れ眠れと抱き込めてくれて。

  “…それだけじゃあない。”

 そも、自分をこんな遠くまで連れ出したのも その彼だ。
 虹雅渓から…という意味だけでなく、
 意識を沈めてうずくまり、何か誰かをあてどなく待ってた久蔵を、
 そこから立ち上がらせ、こんなところへまで引っ張り出した張本人。

  “…。”

 ひどく昏い眸をしていて、だのに。
 ほろ苦い笑みが素の顔のように様になるほど、
 己を出さず隠し通すことへと巧みな、壮年の侍
(もののふ)
 斬って凌駕するためにと追って来た筈だったのにな。
 どうしてだろうか、いつの間にか。
 それ以上の何かに惹かれ、離れがたい存在となっていて。

   ―― 尾羽打ち枯らした惨敗組の将

 誰もがそうと断じながらも、
 侍として常に揺るがぬ態度や姿勢が、誰も彼もを惹きつけてやまない男で。
 単なる頑迷さが為していることなのかもしれないし、
 ただ不器用なだけなのかもしれない。
 侍とはそも、
 問答無用で人を斬ることへとい抱く、
 思想や価値観、迷いや戸惑いや何やかや、
 様々な感覚や葛藤を、総身へさんざん浴びたその挙句、
 何かが突き抜けてしまった存在であり。
 よって、そこへ求道者としての清廉なんてものを求めるのは、
 随分と無理があることだけれど。
 それでも…今の世にあって、
 そんな罪深い肩書だと判っていながら名乗り通せているのは、
 間違いなく意志の強さがあってのことだから。
 卑屈にならず俯かぬ、その毅然とした雄々しさへ。
 罪さえ拭うほどもの何か、
 理想や憧憬にも似た清かな想いを、涌かせてしまうものなのか。

  “………。”

 確かに、仁に厚くて頼もしいばかりじゃあない。
 その深い懐ろの尋の中にて、
 侭に泳いでいるこちらを ちゃんと見守ってくれているのだろうに。
 不思議な距離感は 獲物へのつれなさかと、当初は誤解をしたほどに、
 対岸から眺めているようなところがいつまでも抜けないと。
 『そこが勘兵衛様のお優しいところでさァ』と、
 あの七郎次が苦笑混じりに時折零していたほどで。
 人斬りである限りはという諦念がそうさせるのか、
 助けを求めて延ばされる闇雲な手ではない、
 迎え入れんとする双腕や眼差しへは、頑として靡かぬ 情知らず。

  “…。”

 どれほどの惨劇を見て来たそれか、
 どこか酷薄な褪めた眸に見据えられると、
 なのに熱を感じるようになった。
 どこからか燠った甘い熱に、体の内から焦がされて、
 切ないという想いを知ったことから、
 若々しい肢体が溺れるようにもがいて震えて。
 …だってのに、手を延べてくれないのが歯痒くて。
 しゃにむに掴み掛かったことでやっと、内なる熱をくれたほど、
 なかなか堕ちぬ頑なささえ。
 情を欲しての押して押してを、それが不慣れな久蔵に馴染ますためかと。
 どこまで追えば我がものになるのかと、

  ―― その首が欲しかったものが、心が欲しいへ

 久蔵の中で欲しいの色合いが逆転したのは、
 果たして何時の頃からだったろか…。





  ◇  ◇  ◇



 何に起こされたのかも判らず、気がついたら ぱかりと目が覚めていた。薄暗いところ。だが、真っ暗闇ではない。板壁の隙間はさすがに塞いであるし、雪囲いとでもいうものか、少しでも暖かいようにとの冬支度も万全。家の壁の厚みを増さすよう、茅を立て掛け、縄でくくって留めてもあるものだから。その結果というかおまけというか、隙間から洩れて来ていた外光も随分遮られてしまっていはするが、連子窓へと隙間なきよう嵌め込まれた、平八特製の不織布の障子が、外の黎明を吸ってだろう行灯のように白々と明るい。

 「…。」

 意識の起動がやや遅れたのは、寝間着の小袖をきちんと着せられていたせい。衾の中に自分しかいないことへも、室内…いやいや、どうやらこの家自体に、自分以外の誰の気配もないことへも、この彼にしては随分と遅ればせながらに気がついて。

 “…出掛けている、のか?”

 隣りの間へと立って行っただけならば、それなりの物音や気配が届くもの。むくりと身を起こすと辺りを見回し、背中からすべり落ちた掛け布を腰辺りへまとわせたまま、ほんの数刻ほどぼんやりとしていたものの。

 「…。」

 何かしら急転した事態が起こって飛び出して行った勘兵衛だったとして、そうまでの気配が嗅げない自分ではなし。当たり前の自負として、そんな想起があった上で。ちょっと出掛けただけだろなと決着して、さて。几帳面な性分ではないが、さりとていつまでもぐだぐだと寝床にいる性質
(たち)でもない。何より、そろそろ小袖姿では少々心許なくて。寝床の周囲を再び見回し、風呂に入った折に脱ぎ散らかした一式を誰かさんが掻き集めてくれたらしい塊へと手を伸ばし、日常着へと着替え始める。右手は相変わらず石膏の短いギプスで手首を束縛されてはいるが、動きへの不便はなし。どうやら…患部の固定より、右腕全体の筋力低下を防ぐことの方への効果を慮みて残したのではないかと思われて。それだとしたなら もはや頼りないくらい、むしろ意識しないでいられるほどの動作をこなせてもいる久蔵だったが、それでも多少は不便なものか。左はするりと脱げた袖が、右はなかなか抜けなくて。
「〜。」
 何もまとわぬ薄い肩のなめらかな輪郭を、仄明るい中に白々とあらわにしたままで。手首を胸前へ持ち上げると、引っ掛かっていた袖口を剥くようにして丁寧に取り去る。そこへ、日常着の小袖を羽織り直し、袖先が白地の青い袷
(あわせ)を重ね着て、襟元が咬んだ金の綿毛を手を差し入れて払って引っ張り出して。下には同じ色合いの筒袴を履く。村の衆のは甓のぞきほどの淡い色合いをした藍の袴だが、それだと彼には寸法が足りないのでと、おっ母様がわざわざ縫って下すったこちらは、替えまである念の入れよう。それへと脚を突っ込み、立ち上がると上着の裾を重ねて腰回りを茜の帯紐で縛れば、お着替えも完了。…とはいえ、
「〜〜〜。」
 ふるるっと肩先が震えたのは、さっき少しだけ双肩脱ぎになったからか。もはや秒読みとまで雪が間近いという頃合いの神無村は、その朝晩の冷え方も大したもの。子供たちはとっくに、普段の着物を重ね着しているほどで。
「…。」
 どうしても耐えられないような大層な寒気ではないけれど、何かないかと見回した目に、昨日もお借りした淡紫色の羽織がつと留まり、その傍らには昨夜湯上がりに羽織った綿入れがあったのに、そっちではなくの薄物を選んでいる現金さ。女物だと聞いたけれど、太夫などが大きな帯やらそれなりの和装を整えた上に羽織るものだからか、あの上背がある七郎次が着ていても余裕の丈や身頃であり、久蔵の薄い肩には幅さえ余って落ちかかるほど。
「…。」
 腕の検診とそれから、所用があってと。虹雅渓へ出掛けて行ったのが2日前だから、まだそんなに日は経っていないのに。匂いや温みがもう恋しい自分なのへと、多少は情けないとか思うのか、羽織った絹のその下で、前を合わせる所作に紛らせ、背中を丸めると首をすくめがちにする次男坊。

  ―― だって、しょうがないじゃないか。

 人との執着を越えた関わりというものを知ったばかりの身へ。それが生む“絆”の暖かさというもの、教えてくれた人なのだもの。触れるものは皆 片っ端から斬り伏せてきた久蔵が、斬れなかったことへと執着して追って来た勘兵衛の、その傍らにひょこりと現れた彼
(か)の人は。勘兵衛がそうなようにこちらからの棘ある眼差しを難無く受け止めただけでなく、久蔵の熱なきありようを案じてくれて。穏やかそうな物腰で、なのに根気よくもずっとずっと構いつけてくれて。そうやって、暖かいということがどんなに心地いいかを刷り込んでくれた人だもの。だから、居ないと心許なくて、寒いし……寂しい。

 “…寂しい?”

 ふっと心をよぎった言いよう。居ないことへと心が焦がれ、じっとしてはおれないほどもの餓
(かつ)えさえ感じた空虚さを、そうか人は“寂しい”というのかと。気づいたと同時に、それを痛切に感じた自分は…と。袷の胸元をきゅうと掴みしめてしまう。

 「…。」

 これって…気概が弱くなったということだろか。独りが平気だった頃に比べて、心が脆くなってしまった自分なのだろか。ああでも、その七郎次はどうだった? 慕ってた勘兵衛と生き別れ、やっとの再会を果たすまでの彼を、自分はあいにくと知らないが、

 『…夢を見ていたのかと思いました。
  勘兵衛様に再会出来たのも、久蔵殿に逢えたのも、全部夢だったのかと…。』

 だとしたら、そんな酷くて惨いことがあるものかと怖くなった…と。そんな言いようをしていた七郎次。熱に倒れたその身を虹雅渓まで運んだおり、事情は飲み込めていたはずが、だのに…そりゃあ不安そうなお顔になった。目を覚ました場所が蛍屋の座敷だったことが、彼がかつての“目覚め”を迎えた時と同じだったからではなかろうか。戦さのただ中で意識を失い、目を覚ましたらもう戦なんてとうに終わってると知らされたその時と。勘兵衛もいない、六花もない。生死の狭間で恐らくは彼の全てをつぎ込んでいたのだろう濃密な時間を、幻のような“無かったもの”にされたような気がしたのではなかったか。そして…それがどれほど辛くて哀しいことだったかなんて、語ってはくれない七郎次だったけれど。

 『よく“夢のよう”なんて言い方をしますがね。
  アタシにしてみりゃ、今の今が夢じゃあないのが嬉しくてしょうがない。』

 下手をすりゃあ自分の手足にさえ関心が向かなかった久蔵が、二度と刀を振るえなくなったらと怯えた態を七郎次にだけは晒したほどの。彼にこうまで心開いたほどもの“優しさ”は、ただ人当たりや物腰が柔らかなというばかりのそれじゃあない。それは気丈で心の尋深く、ああまで人へと心遣いをほどこせるほどの人性をしているのは、その芯に強さを秘めていて、抱えたものをどこまでも支えようという覚悟と自信があるからで。まだ若い彼がそうまでの尋、どれほどの艱難辛苦に叩かれ鍛えて得たものだろか。

 「…。」

 南軍最強の“武器”であり、それ以外の何物でもなく。それをどうのこうのと取り沙汰しもせず、何も感じず考えず、ただやりたいことだけを追っていた。それでよかった久蔵と違い、七郎次には護りたい人がいた。その人のためならという覚悟の下でなら、捨て身にもなれたに違いなく。その人と生死も判らぬままに引き離されてた間も、襲い来る不安へ歯を食いしばって耐えたからこそ、その心はずんと鍛えられての強靭さを増したに違いなく。

 「…。」

 神無村を護る一連の戦いの間中、自身の身よりも勘兵衛をと庇い続けて。合戦の前だとて、身を粉にしてのそりゃあくるくると働いていたのだって、全部 勘兵衛のためではなかったか? いつぞやは、誰かの判断に乗っかった方が迷わずに済むだけ気が楽だという言い方をしていたが、再会叶った御主への彼の態度は、そんな依存や責任転嫁ではなくの むしろ…責は全て負うからと、だから遺憾なくという、限りない“滅私奉公”しか匂わせず。何も求めず、なのにいつも微笑っていられたその礎は、彼自身がただひたすら耐えて耐えて鍛えぬいた、その信念の強さに他ならず。

  ―― 誰かを大事と思うことが、人の心を脆くしたりなんかしない。

 不安なんて飲み込めばいいのだ、乗り越えればいいのだ。それに、七郎次はただ、検診のためにと出掛けただけ。数日すれば戻って来るのだ、何を大層に構えることがある。ほんの2日ほど顔を見なかっただけなのにね。ふるるとかぶりを振って、さあと室内を見回し、とりあえずはと衾に手を掛けて。ばさばさ、やや乱暴に畳むと部屋の隅へと押しやって片付けは終わり。囲炉裏の間へと足を運んで、土間の水口で顔を洗い。部屋の隅、引き出しだけを使っている鏡台まで向かうと、そこに置かれた櫛を手にして。毛先から順に歯を入れ、髪を梳いてゆく。力任せに引いてはいけない、ふわふかな綿毛が気持ちよくって大好きだと、褒めてもらった仕上がりにせねば。
「…。」
 ともすれば仔猫の毛づくろいのような、どこか不慣れな毛並みへの手入れ。それを黙然と続けていた手がつと止まり、朝の閑とした空気の中、何かを嗅ぐように耳をそばだてた彼だったが、

 「…っ。」

 矢も盾もたまらずという反射。さっと立ち上がって土間へと駆け降り、裸足のままで駆け出しかかったのと、表からの板戸が開いたのがほぼ同時。まだ陽も昇り切らぬ頃合いの、静かな気配を乱さぬようにと、殊更に気配を消して戻って来た彼らであったらしく、

 「おや、起きてらしたのですね。」

 戸の外にあふれていた朝の明るさとともに、そりゃあ呆気なくも帰って来た人。砂防だけでなく防寒のためもあっての、厳重な装備をまとったおっ母様がひょこりと入って来たのへと、
「〜〜〜〜。////////」
 不意を突かれたがための混乱から、喜んでいいやら驚いていいやら、表情が定まらぬ久蔵だったが。どしよどしよと揺れる気持ちを懸命にこらえるあまり、何をか我慢する幼子のように口許をたわませていたものが、
「あ…。」
 何にか気づいて…眉を下げると一気に案じるお顔になってしまって。
「???」
 一体何がそうまでの顔つきをさせたのか。心当たりはないけれどと、小首を傾げた七郎次のお顔へ白い手が伸びて来て。目許に間近い頬の縁をそおと撫でたので、
「あ…。」
 そっかそっかとやっと気がついた七郎次のお顔が…そのままやや強ばった。目許の赤さに気づいてのそれで、どうしたのだと案じている久蔵であるらしく。

 「あ、や、これはあのその、砂が…そうそう、砂が入ってしまいまして。」
 「…。」
 「いえ、もう痛くはないんですよ。勘兵衛様に取っていただきましたから。」
 「…。」

 ええ、きっと罰が当たったんでしょうね。こんな早くに戻るというの、久蔵殿に内緒にしたから。ホントは勘兵衛様にだって言ってなかったんですよ? だって予定通りに到着出来るとは限らない、新しい空艇で戻って来ましたからね。後でヘイさんと一緒に見に行くといいですよ? …って、ああもう裸足で何してますか。ほらそこへ座ってくださいな…と。早速にもいつも通りの呼吸になっている彼らを見やり、

 「…。」

 こちらはこちらで何とも言えぬ感慨深げなお顔をなさる、蓬髪の御主だったりし。様々な想いが秘やかに錯綜を始めており、それをただただ黙して見守るばかりの、いよいよの雪も間近い神無村の朝の一景。静かに静かに幕を明けたのでありました。









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 *うっかりしとると
  “797”どころか“カンシチ”サイトになりそうな勢いの今日この頃。
  侍よろずっぷりを展開しとる場合ではありません。(まったくだ)

  随分と間が空きましたが、やっとご登場の御大(?)です。
  何だか同じよなことを延々と堂々巡りさせててすいません。
  話の間を空けたのは自分なくせに、
  どういう話はこびだったかをつい忘れてしまうのと、
  今のキュウさんの心を占めてる問題は、
  見たくはないけど気になるからと、何度もなぞってしまうこと…と。
  そういう段階にあるらしいです。
  何たってお初の体験ですきに……。


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